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あの日から6年。東日本大震災が教えてくれた事とは?

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ダイコク@三重県ブロガーです。

2011年3月11日(金)に東日本大震災が発生してから6年が過ぎました。自然の怖さをまざまざと見せつけられたあの出来事も今となっては昔の事になりつつある。でも、忘れていけないのは「日本に住んでいる以上、あの光景は繰り返される」ということ。

6年前のあの日の状況は今でも忘れられない

6年前の3月11日は三重県にある会社にいました。当時は第1回目のうつ病による休職開けでまだリハビリ生活の真っ最中。三重県でも大きく、ゆーらゆーらと建物が揺れていたのを覚えています。

直後にみた緊急地震速報で今まで見た事もない「震度7」震源地は「東北」!

東北?東北で地震があって三重県まで揺れるものなの?同じ時間帯に発生した別の地震じゃないの?って思っていました。地震は「局地的」であり、そんなに揺れが伝わるもんじゃないでしょ?って。

それから外回りから帰ってきた人がTVを見てたら東北に津波が来てて絶句した事を聞いていたので定時に帰宅。車通勤なので車のTVを見てみると・・・そこには惨劇が映し出されていました。まるで映画、CGの世界の出来事。

金曜日夜、土曜日、日曜日と繰り返し報道される映像と悪化していく原発。ずーーーと見ていたら、だんだん色々不安が募ってきた事を覚えています。これはこの世の終わりなんじゃないか?と・・・

今となっては過去のことで対岸の火事という気分

しかし、「今でも忘れられない」と言いつつも、東北に縁もゆかりもない自分にとっては6年という歳月はその出来事を「対岸の火事」として処理しつつある。綺麗事を言うのであれば「あの出来事は忘れてはいけない」のだけど、物理的に距離が離れていて行ったことのない地域の事を「自分ごと」として捉えるのは非常に難しいことだ。

この日をターゲットに放送されるTV番組もしかり。津波の映像を見せられても「CGでしょ?映画でよく見るよ?」というレベルにまで仮想現実が進化してしまっている。だから歴史資料としての価値は大いにあるが、「自分事」として捉えるためのツールとしては弱いのかなぁ?と思ってしまう。

三重県ということでいうと過去発生した「伊勢湾台風」においても今となってはその水位を示す看板が街中にあること位しか自分は過去の教訓を受け取れずにいる。

日本列島は地震列島でもある

対岸の火事で済ませされればいいのだけど、昨年発生した熊本の地震しかり、日本は地震が非常に多い国だ。特に三重県なんて巨大地震の予測がされている「東南海地震」の主役の場所にいる。

その西側には「南海地震」、東側には「東海地震」と巨大地震予測のちょうどド真ん中に三重県は鎮座している。この3つがお互いに影響しあって発生するかもしれないと言われている「3連動地震」・・・これが発生したら三重県の被害は甚大なものになる。

人は過去の偉人たちから学び、成長できるというが、自分で経験してみないと「我が身」として感じることが難しいのかもしれない。

無理にイメージする必要はない、「対岸の火事」でも良いと思う。だけど発生したときに「身を守る知恵」は忘れずに持っておきたい

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